山口家住宅のドマには写真のような大きな茶壷が置かれています。昨年の晩秋に壊れてしまいそのままになっていましたが、雨岳文庫の学芸員である諏訪間伸氏により修復が完了しました。諏訪間伸氏は発掘による土器修復を手掛けられており、その腕前を以って修復がなりました。
▼修復がなり元の姿に戻った茶甕です。包帯が巻かれ痛々しい姿ですが甦りました。
▼壊れた状況の茶甕です。誰もが元の姿にはならないだろうと思っていました。
▼ばらばらになった破片を諏訪間伸氏が根気強く丁寧に繋ぎ合わせ修復されました。
延べ8時間ほどかかったそうです。
▼茶甕に貼られていた古文書です。3枚に破れていた破片の内容を推定すると、
明治13年5月21日に大住郡と淘綾郡の郡長である山口左七郎氏(山口家8代目当主)が、
神奈川県令の野村靖氏に提出した上申書の一部と推定できます。山口氏は明治14年に
県令と衝突して郡長を辞任して自由民権結社湘南社社長に就任しています。
▼茶甕の表に貼られていた古文書です。文字の一部が不鮮明ですが、新茶を
何処かへ早出し?するメモのように思えます。
*この茶甕は江戸時代から使われていたものだそうです。
*上記説明は素人の浅読みですので間違っているかも知れませんが、茶甕の
持つ雰囲気を感じていただければ幸いです。 雨岳文庫事務局 田中 宏続きを隠す<<