2/19(土)に雨岳ガイドの会では「大山道合流の地、道灌ゆかりの下糟屋・上粕屋」のご案内をコロナ対策を取りながら歩きました。当日の天気予報は必ずしも良くなかったのですがウォーク中は雨も無く、一般参加28名の方々とスタッフ11名とで、平安時代から続く「糟屋庄」の道を歩き、蝦夷の平安の祈りを今に伝える「普済寺の多宝塔」、大住郡127ケ村の惣社をなしていた「高部屋神社」、太田道灌にゆかりの深い「大慈寺」「洞昌院」と道灌の墓地、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と道灌の活躍した時代の「城」と推定される「丸山城」、この地域の田畑に命の水を与えていた渋田川と千石用水を訪ねて歩きました。「大慈寺」では本殿にて「高部屋神社」では拝殿にて拝観させていただく機会をいただき感謝です。掲載写真は一部ですがご覧ください。
▼大慈寺の本殿では道灌持仏と伝わる聖観音坐像、道灌の位牌、貴重な写真の説明を
当会顧問から説明させていただいています。

▼北海道厚岸の国泰寺5世として活躍された神宮寺14世文道玄宗和尚が、かの地の
安寧を込めて建立された多宝塔です。塔の基礎には和尚の功徳を偲び北の松前家諸士
庶人の名前が刻まれています。この塔は今は普済寺の境内にあります。

▼約270万年前に採掘されたと推定される日向石のにより組み直された高部屋神社
の石垣です。各石には番号が付けられています。

▼高部屋神社の拝殿です。間近に見ることのできない扁額や獅子の面などを見学。
五間社流造の本殿、杮葺きの金比羅宮、伊勢原に残されている4古鐘の一つなど
見どころの多い神社の造りは茅葺、竜宮城の彫刻などを堪能されたと思います。

▼大慈寺近くの道灌の墓所「首塚」のご案内です。道灌のもう一つの墓所は洞昌院に
あり、こちらでは道灌の文才さを語る文人「万里集九」や「心敬」との繋がりが
見て取れる墓所となっていました。

*このHPでは紹介できていませんが、平安時代~鎌倉時代前半にかけて活躍した
糟屋氏の時代と室町後半~戦国時代にかけて活躍した道灌の主君である上杉氏の
時代に関係すると思われる広大な「丸山城」と、この地域の田畑を潤す渋田川と
大山道の道筋を訪ねたウォークでした。
雨岳ガイドの会*次回は3/19(土)に「水陸交通の要所厚木と渡辺崋山」を歩きます。
ご参加をお持ちします。
⑦ちらし④.docx *
益財団法人雨岳文庫(うがくぶんこ)のHPは下記をご覧ください。
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